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黒影、鉄道をわたる ―ある羆(ひぐま)の幻想―

やまは、静謐せいひつであった。

かぜの音は針葉樹しんようじゅでるように過ぎ、いずみは今日も小石の間から、時間じかんを忘れたようににじみ出していた。私はそこで生まれ、母の乳房ちぶさにすがり、春の草の味と秋の実の甘さを知った。私にとって世界は一枚の静止画せいしかのようなものであり、四季しき変遷へんせんはそののなかに収まる筆のいろどりにすぎなかった。

だが、ある日、轟音ごうおんがその画布がふを破いた。

はじめは山のふもとで、けものたちが騒いだ。人の言葉では「工事こうじ」と呼ばれるらしいそれは、自然しぜん沈黙ちんもく重機じゅうき咆哮ほうこうで引き裂き、やま胴体どうたいえぐるようにして進んでいった。一本の白い傷跡きずあとが、やがて私の暮らしを寸断すんだんした。

―――私は、世界の構図こうずが変わったことを知った。

あの光る鉄の道。眼を背けるほどに真直ぐで、傲慢ごうまんで、無機質むきしつなそれは、人間の論理ろんりが自然を超克ちょうこくしたあかしとして、まるでせいなる剣のように山野を切り裂いていった。私の母は、その音に怯えて谷間たにまに姿を隠し、弟は、いつかそれを越えようとして鉄柵に足を挟み、血を流しながら死んだ。

私の中に、ある渇望かつぼうが芽生えたのはその頃である。

それはいかりでも、かなしみでもなかった。もっと底の浅い、曖昧あいまいなもの――と呼ぶしかないものだった。

なぜなら、あの白い鉄の道は、この森につかわしくないほどに完璧で、みにくくもあったからだ。

それはまるで、かつて京都の寺院にあったという金箔きんぱくを貼られた楼閣ろうかくのように、人間の欲望よくぼう美意識びいしき結晶けっしょうさせた一つの“形式けいしき”だった。

私は、それを一度、見届けねばならぬと感じた。


最期の日

あの日、きりが立ちめていた。

私は静かに、鉄柵を越えた。誰にも気づかれず、木々の陰をすり抜け、あの白き傷痕きずあとの上に出た。

かぜが止み、音が消えた瞬間だった。

の奥から、かみなりのような震動しんどうが這い上がってくる。空気が裂け、地がうなり、あの化物ばけものが姿を現した。まるで、鋼でできたりゅうのように、頭を垂れたまま――けれど光の速さで、私に迫ってきた。

私は、そこから一歩も動かなかった。

なぜなら、それは極限きょくげんであり、私の存在そんざいの意味をき尽くすにふさわしい炎であるように思えたからだ。

私は、自らの肉体が千の鉄片にくだかれるその瞬間に、この不条理ふじょうりな世界と、たしかにひとつになれる気がした。

衝突しょうとつの寸前、私ははっきりと見た。
人間の眼。運転士うんてんしという名の、まよえるけもの
その視線の中にあったのは、私と同じ問いであった。

「ここに在るとは、どういうことか?」


終章

私は、死んだ。

は白い線路せんろを赤く染めたが、それもやがて雨に洗われ、何事もなかったかのように消えてゆくだろう。

だが、私のほねの下で、列車は走り続ける。

人の定めた速度そくどで。人の決めた時間じかんに。

この大地だいちの言葉を持たぬままに――。


※この物語は実際の事故をもとにしたフィクションです。
自然の中で命をまっとうしたひぐまの尊厳に敬意を込めて制作しました。


参考資料


本作品の文体について

本稿は、耽美たんび文学を代表する作家・三島由紀夫みしまゆきおの代表作『金閣寺きんかくじ』に着想を得て構成された、主観的・象徴的な内面描写を重視した近代文学的モノローグ形式の創作です。

耽美派」とは、写実や論理よりも美・芸術性・精神の深層を重視する文学潮流であり、自然や死、崩壊の美を通じて生の本質に迫ろうとするスタイルを特徴とします。

この文章では、クマという存在の内的視点を通し、自然と文明の衝突を描きつつ、鉄道という「美しくも冷酷な人間の叡智」に命を捧げた動物の孤高の美学を表現しています。

本作を通じて、現代社会が抱える構造的こうぞうてきな問題――すなわち「共生とは何か」「誰が侵入者なのか」といった問いを、静かに問いかけています。

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