2026年春、中東情勢の緊張が高まる中、日本のエネルギー供給に関わる一つのニュースが報じられました。
出光興産グループの大型原油タンカー「出光丸」が、ホルムズ海峡を通過したというニュースです。[1]
普段であれば、それほど大きく取り上げられる話ではなかったかもしれません。 しかし当時のホルムズ海峡は、イランを巡る軍事的緊張によって世界中の注目を集めていました。
日本は原油輸入の多くを中東地域に依存しています。 そのため、この海峡を通る一隻のタンカーは、単なる船ではなく、日本の暮らしや産業を支える「生命線」とも言える存在です。
2026年5月・6月 出光丸が象徴したもの
出光丸は2026年4月末にホルムズ海峡を通過し、その後日本へ向けて航行を続けました。[2]
5月には日本政府による外交的な調整も報じられ、日本関係のタンカーが相次いで海峡を通過したと伝えられています。[3]
さらに5月下旬には、出光丸が積載した約200万バレルの原油が日本へ到着しました。[4]
一方でホルムズ海峡周辺では緊張状態が続き、多くの船舶が航行を見合わせる状況も発生していました。6月に入っても通常時ほどの交通量には戻らず、各国の海運会社やエネルギー企業は慎重な対応を続けています。[5]
こうした状況を見ると、「出光丸が海峡を通過した」というニュースは、単なる物流の話ではなく、日本のエネルギー安全保障そのものを象徴する出来事だったことが分かります。
出光という会社の原点
このニュースを見て、私は出光という会社の歴史を思い出しました。
出光は現在、日本を代表するエネルギー企業の一つです。 しかし、その歩みは決して平坦なものではありませんでした。
出光タンカーの公式沿革によれば、同社の外航部門の歴史は1938年建造の第一世日章丸にまでさかのぼります。[6]
そして1953年、第二世日章丸はイランから石油を積み、日本へ運びました。 この航海は後に「日章丸事件」と呼ばれ、日本のエネルギー史を語るうえで欠かせない出来事となります。[7]
なぜ日章丸は世界を驚かせたのか
1950年代初頭、イランでは石油国有化をめぐり国際的な対立が起きていました。 その結果、イラン産石油の取引は極めて難しい状況となっていました。
そうした中で出光は、自らイラン産原油の調達に乗り出します。
後から見れば「大胆な決断」に映りますが、その背景には長年培われた組織力や現場力がありました。 ただ勇気があっただけではなく、困難な状況の中でも実行できる人材と仕組みがあったからこそ実現した挑戦だったのです。
『海賊とよばれた男』という入り口
この歴史は、百田尚樹氏の小説『海賊とよばれた男』によって広く知られるようになりました。[8]
もちろん小説ですので、史実と創作は区別して読む必要があります。 しかし、戦後日本のエネルギー確保に挑んだ人々の姿を知る入口としては非常に優れた作品だと思います。
次回予告
今回取り上げた「日章丸事件」は、単なる企業の成功談ではありません。
なぜ一隻のタンカーが世界中の注目を集めたのか。 なぜ出光はイランへ向かったのか。 そして、その航海は日本に何を残したのか。
次回は「日章丸事件」そのものについて、もう少し詳しく見ていきたいと思います。
出典・参考文献
- Bloomberg「Idemitsu Maru transit through Strait of Hormuz」(2026年4月)
- World Oil「Oil tanker completes rare Hormuz transit as Gulf shipping remains constrained」(2026年4月28日)
- Wall Street Journal「Japanese Tankers Cross Strait of Hormuz After Prime Minister’s Outreach to Tehran」(2026年5月)
- Kyodo News / MarketScreener「Oil tanker that passed through Hormuz arrives in Japan」(2026年5月)
- Financial Times「Oil tankers increase ‘dark’ transits through Strait of Hormuz」(2026年6月)
- 出光タンカー株式会社『出光タンカーの歩み』
https://www.idemitsu.com/jp/tanker/company/history.html - 出光興産株式会社『創業者 出光佐三』
https://www.idemitsu.com/jp/company/founder/ - 百田尚樹『海賊とよばれた男』(講談社)




