2025年8月、千尋進学塾西正和台校の髙橋先生がお孫さんと、千尋進学塾のマスコット犬・チャチャを連れて桑名市の九華公園を散歩していたところ、たくさんのカニを見つけました。
石のすき間や木の根元、落ち葉の陰から姿を現すカニたち。
当時、千尋進学塾のブログでも「九華公園のカニパレード」としてご紹介しました。
そして、それから約1年。
2026年8月23日。
今年も九華公園を歩いていると――いました。
暗闇の中、ライトに照らされた地面を歩くカニ。
落ち葉の間にもいます。
木の根元にもいます。
昨年とほぼ同じ季節に、今年もまた姿を見せてくれました。
そもそも、なぜ今ここにいるのでしょう
「今年もいるなあ」
それだけで終わってしまっても、もちろん構いません。
でも、少しだけ立ち止まって考えてみると、次々と疑問が出てきます。
なぜ、8月になるとたくさん出てくるのでしょうか。
昼間はどこにいるのでしょう。
なぜ夜になると地面を歩いているのでしょう。
このカニたちは一年中九華公園にいるのでしょうか。
では、冬になったらどうしているのでしょう。
何月ごろまで姿を見ることができるのでしょう。
雨の日と晴れの日では違うのでしょうか。
気温や湿度も関係しているのでしょうか。
そして、そもそも――
このカニは、本当に何という種類のカニなのでしょうか。
昨年の記事では「サワガニ」として紹介しました。
しかし今年、改めて写真を見てみると、大きなハサミの色や体の特徴、そして水の中ではなく地面を歩き回っている様子などから、「本当にサワガニなのだろうか?」という新しい疑問も出てきました。
アカテガニなど、別の種類の可能性も考えられます。
昨年一度調べたから終わり、ではありません。
新しい材料が出てくれば、もう一度考え直す。
これもまた、学ぶということだと思います。
「気になる」ということは、実はとても大切です
学校の勉強というと、
- 覚えること
- 問題を解くこと
- テストで点数を取ること
が中心のように思われるかもしれません。
もちろん、それらも大切です。
しかし、それ以前にあるものが、
「なぜだろう?」
という感覚ではないでしょうか。
例えば今回のカニもそうです。
カニを見て、
「カニがいた」
で終わる人もいます。
「たくさんいるな」
と少し気になる人もいます。
「去年も同じ時期にいたぞ」
と気づく人もいます。
さらに、
- どうして毎年この時期なんだろう
- 冬はどこへ行くんだろう
- 何を食べているんだろう
- 九華公園のどこに多いんだろう
- この種類は本当にサワガニなのだろうか
と考える人もいます。
同じものを見ていても、そこから広がっていく世界は人によってまったく違います。
調べる人と、調べない人
今は、疑問を持ったときに調べる方法がたくさんあります。
- 図鑑を開く
- 図書館へ行く
- 専門家が書いた資料を読む
- 自治体や博物館の資料を探す
- 写真を比較する
- インターネットやAIを使って調べる
大切なのは、道具そのものではありません。
「分からないことを、そのままにしない」
という姿勢です。
少し気になったから調べてみる。
調べてみたら、さらに分からないことが出てきた。
もう少し調べてみる。
すると、最初は一匹のカニだったものが、生態の話になり、季節の話になり、気象の話になり、桑名の地形や河川の話になり、九華公園や桑名城の歴史にまでつながっていくかもしれません。
学問というものは、案外こういうところから始まるのではないでしょうか。
「自分には関係ない」で終わらせない
世の中には、自分が直接使わない知識がたくさんあります。
カニの種類を知らなくても、生活には困らないかもしれません。
月がどうして満ち欠けするのか知らなくても、買い物はできます。
江戸時代の桑名藩について知らなくても、仕事へ行くことはできます。
だから、
「自分には関係ない」
と言ってしまうこともできます。
でも、それを繰り返していくと、自分の世界は少しずつ狭くなってしまいます。
反対に、
「これは何だろう」
「どうしてこうなるんだろう」
「知らないから、少し調べてみよう」
という習慣を持っている人の世界は、少しずつ広がっていきます。
一見すると自分とは無関係だった知識が、別の場面で突然つながることもあります。
仕事でもそうです。
人との会話でもそうです。
社会を見るときにもそうです。
何か新しい問題に出会ったときにも、「よく分からないから関係ない」と考えるのか、「よく分からないから調べてみよう」と考えるのか。
この違いは、長い人生の中ではかなり大きな差になるのではないかと思います。
探究する力は、子どもだけのものではありません
「探究学習」という言葉を聞くと、学校教育の話だと思われがちです。
しかし、探究する力に年齢制限はありません。
小学生でも、中学生でも、高校生でも、大学生でも、社会人でも、そして何歳になっても、「なぜだろう」と考えることはできます。
むしろ、大人になってからの方が、自分で調べ、自分で考え、自分で判断しなければならない場面は増えていきます。
だからこそ、子どものうちから、
- 何かを見つける
- 疑問を持つ
- 調べる
- 考える
- もう一度観察する
- 考えが違っていたら修正する
という経験を積んでほしいと思っています。
そして、それは大人である私たち自身も同じです。
来年も会えるでしょうか
昨年見つけたカニたち。
そして今年、ほぼ同じ季節に再び出会ったカニたち。
では、来年はどうでしょう。
8月の何日ごろから姿を現すのでしょうか。
9月にもいるのでしょうか。
10月はどうでしょう。
冬になったら、本当に姿を見なくなるのでしょうか。
そう考えると、いつもの散歩道がちょっとした研究フィールドに変わります。
特別な研究設備がなくても、
一枚の写真と、
一つの日付と、
「なぜだろう?」
という気持ちがあれば、観察は始められます。
2025年8月。
2026年8月。
九華公園で二年続けて出会ったカニたち。
さて、2027年の夏はどうでしょうか。
また会えるのか。
少し楽しみにしておこうと思います。
そして、そのときには今年よりも少し詳しく、このカニたちのことを説明できるようになっていたいものです。
身の回りの「どうでもよさそうなこと」を、どうでもいいまま終わらせない
身の回りの「どうでもよさそうなこと」を、どうでもいいまま終わらせない。
そこから学びは始まります。
千尋進学塾では、問題の解き方を教えるだけではなく、身の回りの出来事に疑問を持ち、自分で調べ、考えることのできる人になってほしいと考えています。
九華公園の小さなカニたちも、そう考えてみれば、なかなか立派な先生なのかもしれません。




